大橋 奈央2022.11.15

世界に誇る生酛造りで
最高級酒を醸す大七酒造

大七酒造株式会社 様

生酛造りで臨む最高級酒

—— 世間から評価されていたにもかかわらず「自分の目指すお酒」のために生酛造りに舵を切ったご祖父様ですが、どのような味を目指していたのですか。

太田 祖父がよく言っていたのは「濃醇できれいなお酒」ですね。淡麗できれいなお酒は、とにかくお米を削ってタンパク質や雑味のもととなるものをすべて取り除いて醸せばいいので、比較的造るのが容易だと。一方で、濃醇で味わいが濃いお酒というのは、濃醇は達成できても同時にやぼったいとか角があるとか、そういう酒質になりがちだと。

つまり、濃醇だけれどもどこをとっても欠点のない、きれいなお酒を造るのは、とても至難な業なんですね。でも、この難しいことを両立したときにお客様は感動するのだと祖父は考えたようです。だから「濃醇できれいなお酒」というのが、祖父の時代から大七酒造が目指している路線であり、弊社のHPで「力強さと洗練」と掲げているのは、まさしくそういう味わいを目指しているという決意表明です。

—— なるほど。大七酒造のお酒がきれいで洗練されているのにしっかりと重み・旨味がある理由がわかりました。ちなみに、長らく速醸酛が主流だったと思うのですが、生酛造りはいつ頃から注目されるようになったのですか。

太田 残念ながら長らく日の目を見ることはありませんでした。現在のように吟醸酒といったカテゴリーもなく「級別制度」に縛られていた時代は、いかに生酛造りに取り組んでいても、隠し味程度にしかならなかったですね。

平成初期に級別制度が廃止になったのですが、そのころの業界は金賞獲得競争(全国新酒鑑評会など)がもっとも過熱していた時代だったので、技術はすべて金賞を取るために注ぎ込むと。それに役立たないものは見向きもされないという感じでした。やっといろんなタイプの日本酒を造れる、百花繚乱のような時代になったんですけども、生酛には風は吹いていなかったですね(笑)
© DAISHICHI SAKE BREWERY CO, LTD.
—— そのような状況下でも生酛造りに取り組んでいた、その原動力を教えてください。

太田 大七酒造も名をあげるためには生酛をさておいても、金賞を取るべきなのではとか、そういう考えが頭をよぎることもありました。ですが「賞を取ることがすべて」といった過熱する空気を見れば見るほど、これは普通じゃないと。こんな考えがいつまでも続くわけがないと思いました。

生酛造りはその当時、冷遇されていたけど、1700年前後からこれほど精緻なバイオテクノロジーを達成していた国酒が世界にあるかというと、きっと日本酒以外ないと思うんですよね。ですから、生酛造りこそ世界に誇れるはずだと。簡略型の近代製法の金賞受賞が、日本酒の頂点だというのはあまりに貧しいと思ったんです。

いずれこの風潮は克服されるだろうから、日本が誇る生酛造りで「これでどうだ」と自信をもって言える、最高級酒を造るということを自分の目標に決めました。

—— 太田社長が目指したお酒は完成しましたか。

太田 はい。着手から5年という歳月がかかりましたが、平成元年に造った「生酛純米大吟醸 しずく原酒」がまさにそれです。先々代の名杜氏がいたのですが、彼にとっても晩年の最高傑作みたいなものでして。非常に力強さや豊潤さ、そしてボディーがあり、なおかつ吟醸酒だといって恥ずかしくない華やかな香りもあると。これが生酛で造る高級酒のスタイルだなと、全員が納得しましたね。

日本酒に関心を持ち始めたソムリエの方々からは美味しいと評価していただき、海外市場でも認められるようになり、この道で間違いなかったなと思いました。
—— 現在、大七酒造は20か国以上に商品を輸出していますが、いつ頃から世界を見据えていたのですか。

太田 1996年に日本産清酒輸出機構という団体が誕生したことがきっかけですね。これは、日本酒のソムリエである利き酒師が海外にも増えてきたので、よりたくさんのお酒を海外の人に紹介するために十数社で一緒に市場を開拓しようと発足した団体です。私どもは生酛造りの代表蔵として声をかけていただきました。

そのまえの段階でちょっと思い出を語れば(笑)1992年にワインソムリエの田崎真也さんがコーディネートされたフランスのワイナリーツアーに参加させていただきました。ボルドーやシャンパーニュ、ブルゴーニュ地方などのワイナリーを見学するので、最初はファンが有名蔵を訪ねるというような感覚でした。でも、いろいろ見ていくと、家族経営だったり規模感が案外酒蔵と似ているなと思うようになりまして。醸造設備を見ても、そんなに雲泥の差があるとは思えないなと。

ワインと日本酒とでは、知名度は100と0も差があるということが問題意識としてすごく強く残ったんですが、世界の超一流ってそんなに雲の上の存在ではなくて、まだ手の届くところにあったんだと確認する旅になりました。「日本酒は全然負けていないんだよ」ということを、世界はもちろん、国内の人にも知ってもらいたいと思ったことが、一番初めに世界を意識したきっかけですね。