大橋 奈央2022.02.04

飽くなき探求心で
唯一無二を目指す西田酒造店

株式会社西田酒造店 様

異業種からの挑戦

—— 日本酒とあまり馴染みのない人も、「田酒」ときくと日本酒が思い浮かぶほど、多くの人々に愛されている西田酒造店(以下:西田酒造)ですが、西田さんは何がきっかけで日本酒業界に入られたのですか。

西田 実は西田酒造は妻の実家でして、私は婿なんですよ。前職の東芝では、原子力関係の部署に10年間従事していました。その間に高校の同級生である妻と結婚し、横浜で生活していたのですが、田舎で育った私たちは、のびのびとした環境で子育てをしたいと思うようになりましてね。そんなことを考えていると、思い出したんです。「あれ、そういえば妻の実家、酒蔵だよね?」って。ノリとしてはこんな感じですね(笑)

西田酒造を継ぐなんて大げさなことは考えず、蔵の仕事を手伝うという形で、30年前に日本酒業界に入りました。だから、気負いなんてゼロだし、経営者になろうだなんて思ってもみなかったですよ。きっかけはこんな感じで、大それたものではないんです(笑)ただし、帰ってくるにあたり、ちゃんと仕事をしなければならないと思ったので、自分なりに勉強はしました。
—— どのようなことを勉強し、蔵で取り組まれたのですか。

西田 まず、日本酒を知るために、東京の滝野川にある醸造試験場(現:独立行政法人酒類総合研究所東京事務所)で、半年間研究しました。その後、蔵に入るわけですが、帰ってきたころのうちの酒質はボロボロで。「田酒」という名前の知名度のおかげでなんとか売れていましたが、立て直さなければならないぎりぎりのところでした。

なので、まずは改善できるところから取り組もうと試みるんですけど、誰も私のことなんて聞いてくれないんですよね。蔵の息子ならまだしも私のような新参者が何を言ってんだって。だけど、変なものは変なんですよ。そこで、疑問に思ったことを蔵人たちに聞いて回ると、すべて「昔からこうだから」と。つまり、理由も分からず、先輩に言われるがままに取り組んでいることが多かったんですね。たしかに試験場で学んだ理論と実際に現場で取り組む実践は異なる場合もあると思います。でも当時の蔵は明らかに無駄な作業が多かったので、少しずつ改善し、私が社長に就任した2004年からどんどん改革をはじめ、最終的に今の形態になりました。
—— 改革は想像を絶するものだったと思いますが、一流のビジネスマンとしての経験があったからこそ、今の西田酒造が確立されたのですね。

西田 そうですね。前職の経験は生きていると思います。あとは、私が外の人間だからできたんでしょうね。私はどちらかというとひねくれ者だから、物事を正面からではなく、斜めや横から見るんで(笑)そうすると、「これ絶対におかしいじゃん」ってところが見えてくるんです。そこを突き詰めていった形が今ですね。

—— 2004年の社長就任後、実際にどのような改革に着手されたのですか。

西田 改革というか、大きな設備投資はかなりしましたね。社長就任後、まずは企業としての力を大きくしなければならないと思い、基盤を整え、10年ぐらいはお金を貯めて、そこから大きな設備投資を始めました。それで、2013年に蔵の隣の土地を借りて在庫倉庫を建て、翌年には少し離れたところに土地を買い、精米所を構えました。その後も必要に応じて、最新の機械や設備を毎年導入しています。

—— 在庫倉庫や精米所を新たに構えられたのですか。

西田 もともとは、精米所も蔵の中にあったんですよ。でも、建ぺい率の関係で、蔵の敷地内に追加建築ができないため、新しい機械や設備の導入は難しいと。となれば、蔵内をリフォームするしかない。では、蔵の外に出していいものはなんだってなったときに、米だね、精米所だねって。それで、精米所を新設しました。